東北地方太平洋沖地震
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地震が起きた時、私は停車中の電車内に居た。 また宮城だろうな?と考えられる余裕も最初の内だけで、激しさの増す揺れに冷静さを失いかけたが、隣りに座っていた制服姿の女の子が激しい揺れに慌てて車外へ飛び出そうとした姿を見た私は、反射的に「落下物の危険があるからまだ電車から出ない方がいいよ!」と制止した。 その事がきっかけでその子も私自身も冷静さを少し取り戻した。 こんな状態では、暫く電車は動かないと思ってはいたが、運転再開の気配は全く見られない。それどころか、待避中にまた大きな揺れがやって来た。 そして30分以上電車内に居たが運転再開のメドが立たず、遂には駅構内から全員出て欲しいと言われた為に余震の続く中、止む無く駅を出る事に。 階段を上がり改札口付近で女の子の後輩の子と偶然再会し2人は無事を喜び合ったが、ご家族と連絡が付かなかった為、迎えに来て貰う事も出来ず、どうやって帰ったら良いのやらと困惑していた。 訊くと最寄り駅は2駅先と4駅先。タクシーは来ないし、たまにすれ違う路線バスも全て回送表示。 この辺りの地理は詳しいし見過ごす事も出来ず、私には少々遠回りとなったが2人をある程度の場所まで導いた。 信号は止まり、電気の消えたコンビニに食料や電池、ロウソクを買いに来た客が列を成す。 夜に塾があるらしいのだが、停電した街を見た彼女は「今日は塾休みかな!?」とチョット嬉しそうな表情。 しかし、依然としてご家族とは連絡がつかない。 そうこうしている内に最寄り駅に到着し、3人は何とか不安を打ち消そうとする笑顔で別れると異様な雰囲気に包まれた街を更に歩き続けた。



やっと、家の前まで到着するも、見上げると鍵をかけ忘れた窓だけが大きく開いている。 固く重い窓がここまで開いている事で、中が酷い事になっている事は容易に想像がついた。エレベーターは停止して動かない。非常階段を上り、恐る恐る家に入ると案の定、家具はバタバタと倒れ、その衝撃でフローリングが刳れ、一部ガラスも割れ、トイレの水が揺れで足元に溢れていた。家は8階なので揺れが増幅されて、発表された地域の震度より大きいと思われる。休む間もなく復旧作業に入る。途中、携帯が鳴り、見ると地震発生直後に頂いた友人からのメールだった。まだ混線は続いている様だ。 又、東京に勤める連れは危うく帰宅難民になる所だったが、下りが再開した新幹線で躱し新横浜まで辿り着いた。私は実家の車を借りて迎えに向かう。その際もまだエレベーターは復旧していない。交通機関も麻痺しているので仕方なく折り畳み自転車を畳んだ状態で非常階段から下ろして、下で組み立てて向かった。 23時近かったが、復旧していない信号が多数見受けられた。地震とは無関係かも知れないが、帰りに車の横転事故処理で駐車場の目と鼻の先で大きく迂回させられた。やっと帰宅したが、まだ安心は出来ない。 私の親戚は東北、特に宮城県に多く居る。しかも、三陸だ。 死者が出ている茨城の常陸太田にも居る。 青森の親戚は無事が確認出来たが、それ以外の親戚とは未だ連絡が取れていない。 混線しているだけだと思いたいが、津波を受けた従兄弟の住む大船渡や私の生まれた気仙沼の火の海を見ると、最悪の事態も覚悟しておかなければならない。
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by sanpoken | 2011-03-12 04:45
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